はじめて鈴虫寺に行ったのが2010年。
お地蔵さんのお願いが叶うと、お返しに行くので、その後も数回通いました。
ところがその大切なお札を2012年に恵比寿で落としてしまいました。
お返しするお札がない事、いつも長蛇の列で時間がなく、ちょっとご無沙汰していました。
今回は大覚寺のお月見に行ったので、嵐山に泊まったので、ご近所だったので朝の鈴虫寺参拝をする事にしました。
深夜の雷雨のせいか、朝の嵐山界隈は寒く感じました。
鈴虫寺といえば、やっぱりお坊さんの法話です。
久しぶりの鈴虫寺の法話、久しぶりという事とコロナに猛暑と、ちょっと疲れた人々、今の時代に反映されるものでした。
3つの言葉。
一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)・・・すべての現象や存在は自分の心が造りだしたものという意味。
スマホの普及で人々に余裕がなくなっている事。いらない情報ばかりが頭に入ってきていらない知識で頭が満員になっちゃっているから、時に余裕を持って深呼吸して下さいとの事でした。
そしてスマホと離れて、時に自分に必要なもの不必要なものを整理して下さいねとのことでした。
明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)・・・《明珠》とは、透明でくもりのない珠玉、つまり宝石・宝物。それはすでにあなたの手の中にありますよ、という意味です。
隣の芝生は青いと言いますが、他人と比較することなく、他人をうらやむことなく、今ある自分自身を大事にすることが1番だという意味です。今日、京都に来れた事、住む家がある事、家族がいる事など当たり前と思うわないで、今置かれている事に幸せを感じましょうとの事でした。
利他・・・他の人のことを考えてあげるという意味
最近は、自分の事ばかり考えて、人のことを考える余裕の無い時代ですが、他人をちょっとでも考えたり、良い所を探してみる事、褒める事が大切ということでした。
今回は行く先々で法話や宮司さんの話しを聞く機会がありました。
何度も共感と感動で涙腺がゆるみました。
旅は本当に心の整理です。
同じ環境にいると、それが当たり前で、感謝の気持ちがなくなったり、大切なものがわからなくなってしまいます。
改めて、私が壊れないようにサポートしてくれる人達の愛を思い出し、今日まで生き続けている事も自分の力だけではなく愛なのだって気づかせてくれた鈴虫寺でした。
約10年ぶりに鈴虫寺のお地蔵さんに(1つだけ叶うお願い)手を合わせました。
草鞋を履いたお地蔵さんが、すぐにみんなのところに行ける準備をしているそうです。
鈴虫寺の近くにかぐや姫竹ご殿があります。
以前行った時に、とても不気味な空気が流れていて、ちょっと怖い感じがいていたのですが、リノベーションされて
BANBOO CAFEというカフェになっていました。
嵐山の喧騒から離れたこの界隈は、ちょっと不思議な異空間。
せっかくなので、コスタリカを1杯。
京都は奥が深い。
KIKCAFE
横浜市保土ヶ谷区岩井町29-4
045-334-1114